はじまりは、留年シェアハウス。



大学4年生になって出発したバックパッカーの旅。
ひとり暮らしの家を引き払い、半年以上放浪を続けてきた。
しかし、翌年1月に帰国したとき、帰る家はなかった。
留年も決まったため、学生生活はあと1年。当然金はない。


友人宅を転々としながら、住む家を探していたある日。
本当なら就職間近であろう大学同期の友人からの突然の電話。

『いっしょに住まへん?』

その一言が、僕の長きシェア生活のはじまりだった。


口調からこいつも留年したんだろうな、と感づきながらも聞いてみる。

「というか、おまえ、就職は?」

すると驚くべき答えが帰ってきた。

『あー、ごめん。志賀ちゃんは旅に出てたから言えんかったけど、
実は俺もそのあと旅に出てたんだ。』

なんと俺に触発されて東南アジアを放浪していたらしい。
彼の名は大島。同じ大学の同じ学部の同じサークルの仲間だ。


大島が言う。

『高校の時の友だちが不動産屋でバイトをしててさ。
新築の物件に人がいないから、住んでくれないか?と
頼まれてるらしいんだ。ちなみにそいつもこれから留年。』

聞くと、横浜西区の一等地にある3LDKだから2人で住むにはちと高い。
家賃を折半するためにルームシェア仲間を探しているという話だった。

「志賀ちゃん、勢いやで。」大島は言う。

「オッケー。住もう。」一度の電話でそれは決まった。


それからもう一人の留年仲間を見つけることに成功。
大島はLDKの「L」に住み、3部屋に1人ずつが住むという不思議な暮らし。

電話から即決すること一週間。家賃は一人4万円ぐらいか。
はじめてのシェア生活。4人の「留年ルームシェア」がはじまった。