加藤はいね氏の自由すぎる文体から感じるコピーライターの職業病



「お、おもしろせつない!」

“泣き笑いブログ”で話題の加藤はいね。
「32年間処女でも油断すればアソコは緩む」
喪女キャラから生まれる自由すぎる文体。
変幻自在の比喩づくしの裏にみえる緻密さ。
その文章力はSPAに連載を依頼されるほど。
心地よい文体に酔いしれ、ふと冷めて蒼白。

「俺の文章から“ふくよかさ”が消えているっ!」

それはもう、朝起きたら知らない女がベッドで死んでいて、
頭がイカレちまったか…と洗面所で顔をバシャバシャ洗って、
鏡に写った自分に驚愕、「これが俺の顔なのか?」てなもん。

大学時代は、もっとふくよかな文章を書いていた、
よーな気がするんだけどなぁ。

アルプスの湖畔を自由に泳ぎまわるように
好きなだけ進み、好きなだけ潜り、
息つぎも忘れるほどに思うまま書いていた。
ときに生命を生み落としたかのような言葉の息吹に
やさしい風が頬をなでるような心地よさを感じながら。

あるいは、ジャズピアノでも演奏しているかのように
ただ感じるままに、流れるようにタイピングしていた。
ときに自分の奏でる音色に驚かされ、
自然に収束していく旋律のような文脈に導かれるように。

それがどうだろう。豊かだった文体が、
「親父が倒れたらしい」と聞いて、勘当されて以来の
帰省を果たして目の当たりにした父親の老体のように
すっかり枯れてしまっているのだった。

これは間違いなく、コピーライターの職業病だ。

コピーに無駄な言葉は一文字たりとも許されない。
読み飛ばされては駄目。コピーには時間の猶予がない。
圧倒的な逆境。それがコピーの置かれた環境だからこそ、
書いた文章を何度も読み直し、削りに削って、
誤解や読み澱みがないよう、とことんシンプルな文章にする。

村上春樹のような美しい言葉の装飾はいらない。
桑田佳祐のような熱い思いの丈もいらない。
加藤はいねのような言葉あそびの比喩もいらない。
湖畔がどうとかジャズピアノがどうとか、真っ先にカットだ。

それは、まるでボクサーが鍛えあげた肉体を、
試合に出るために、無理やり減量するような作業。

それでも、人を引きつける文章にするには、
引き締まった文体をつくる必要があるのは当然だ。
でも、女性とおなじで、あんまり筋肉質だと、
文章にも艶がないというか、色気がない。そういう話。

せっかく、勢いや尖りがあった文章も、
使い込まれたエンピツのように丸くなり、
「きれいなジャイアン」みたいに
なんとも、うさんくさい文章になってしまいがち。

世の中にあふれる広告コピーのほとんどがそうだ。
ライターが書く記事だってそうではないだろうか。
読んだ人が、心から読んで良かったという文章は少ない。

加藤はいねの文章のように、読んでスーパーおもしろい。
もっと読みたいと感じさせる。それがどれだけ難しいことか。

とにかく、文章を絞るだけではなく、少しはふくよかさを取り戻したい。
そんな想いから、ブログで少しずつリハビリしたいと思います。

リバウンドしすぎて、ぶよぶよでだるだる。
そんな読みにくい文章が生まれたりして。

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