完璧じゃないメッセージなんて、出鱈目な時刻表みたいなもんです。(中国行きのスロウ・ボート/村上春樹)
まるで故障したエレベーターにたまたま二人で乗り合わせたって感じなんだよ。
フィクションのあるあるを使って喩える。映画好きの人はこれがうまい。
最初の自殺した友人を除けば、殆どの連中は死を意識する暇もなくあっというまに死んでいった。上り慣れている階段をぼんやり上っていると踏み板が一枚はずれていた、そんな感じだ。
この本でいちばん絵が浮かんだ比喩。これもフィクションあるある。うまいよなぁ。
完璧じゃないメッセージなんて、出鱈目な時刻表みたいなもんです。
これが刺さったのは職業柄だろうか。伝えたいことは完全に消化してメッセージ化しないと無意味になってしまいますよね。書きながら粘土をこねるように形にしていってもよいのだけど、そうしていくうちに、結局完成しなかったメッセージもある。それはまだ言葉として世に出すには若すぎる思考だったと思うのです。
二十回もベルが鳴ったのよ。まるで誰かが長い廊下をゆっくりと歩いているみたいな電話のベルだったわ。どこかの角から現れて、別の角に消えていくみたいなね。
緊張感はこうして言葉で手触りのあるものにできる。
「十一時までに戻らなくちゃいけないのよ」
「靴を忘れないようにね」
これはかなり省略したが、一度言ってみたいセリフ。現実で言ったらひかれそうだけど。