たしかにこの旅は私にとってかなりの程度、身体性の回復にはなったと思う。閉じかかっていた毛穴もだいぶ開いた。感官も活発化した。だが、これは旅の一時的効能であったにすぎないと読者には告白せざるをえない。私の舞い戻ってきた…/辺見庸「もの食う人びと」



たしかにこの旅は私にとってかなりの程度、身体性の回復にはなったと思う。閉じかかっていた毛穴もだいぶ開いた。感官も活発化した。だが、これは旅の一時的効能であったにすぎないと読者には告白せざるをえない。私の舞い戻ってきた高度消費資本主義のこの国は生半ではない。この国のありようにまつろわぬ異なった感性を巧みに奪い、無と化し、均質化することにかけてはなにしろ驚異的能力の持ち主だからだ。一切の価値も意味も商品化と消費にしか還元しないがゆえに、人が食いかつ生きることの本来の価値と意味のすべてをぼろぼろと剥落させてしまったこの列島では、身体性の回復というアイディアさえもが商品化可能なフィクションでしかない。帰国後そのことに空しさを感じつつ三年余、夜半に目覚めて鏡に見る私の顔は、気のせいか、なにも食わなかった者、なにも見なかった者、なにも聞かなかった者の、文字通りのっぺらぼうのそれのように思えてぞっとするのである。

 

辺見庸「もの食う人びと」の小説一説