生きねば。/風立ちぬ



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「え?もう終わり?」

突然のエンドロールに驚いてしまったのは、
2時間があっという間に思えるほど夢中だったから?

それとも、期待の眼差しに力を入れすぎて、
ストーリーの起伏をサーフしそこねたから?

“実際に空を飛ぶより、飛んでいる。”

この映画がアニメーションとして素晴らしいことは、
もはやここで言葉にする必要もない。

子供のころ、誰もが無限に持っていた想像力を、
宮崎駿はずっと失っていないんだなぁ。
それを失ってしまった僕たちにも、
質量を持って思い出させてくれる。
観ている間の数え切れないワクワクがその証拠。

それとは別の話で、気になる話がある。
以下、ネタバレなので観てない人は気をつけて。

僕はこの映画で描かれた「堀越二郎」に共感できなかった。

地震が起きた時の正義感や
病気の菜穂子と再会した時のいちずな告白。
どれをとっても素晴らしい人物像だと思う。

ある日、菜穂子が吐血したという電報を聞いて、
自分の身の危険も顧みず駆けつける二郎。
やらねばならぬ仕事に追われ、
列車の中で設計図を書きながらも、菜穂子を想い涙を流す。

そうして駆けつけた二郎は菜穂子に無事会えて、
菜穂子自身も二郎と少しでも長く生きるために、
人里離れた療養所で治療に専念することを決意する。

でもある日、二郎に会いたくて病院を抜け出して東京に。
そのまま、診療所には戻らず二郎と身ひとつで式をあげる。
きっと菜穂子は、自分の命が永くないことを知っていたのだと思う。
この映画の中でも最も素晴らしく美しくて感動的なシーン。

でも、それからも二郎は設計の仕事に追われ続ける。
「創造的人生の持ち時間は10年だ」その真っただ中。
深夜どころか、朝まで働き続ける二郎。
一緒に暮らすようになっても、菜穂子と過ごせる時間はわずか。
そのことで、二郎を責める妹に対しては、
「僕らは一日一日を大切に生きているんだ。」と言い放つ。

飛行機の設計は、二郎がやらねば誰がやる、
そんな国の行く末を背負った仕事だというのはわかる。
けど、菜穂子という最愛の人の人生だって背負っているわけで、
俺だったら、菜穂子と過ごす時間を何より優先したい。
仕事を優先する二郎に納得がいかなった。

そして、テスト飛行のためしばらく家を空けると告げられる菜穂子。
そんな二郎を笑顔で励まし、見送ったあと、
誰にも悟られずに家を出る菜穂子。

「一番美しいときを、大切な人に見てもらいたかったのね。」

黒川婦人の最後の一言が、僕の胸には刻まれた。
美しい。美しいんだけど、それでいいのかな。
もっと、もっと、二郎と一緒に過ごしたかったはずなんだ。
そのために、療養所から戻ってきたはずなんだ。

その想いが、菜穂子の強すぎる背中がせつなくて。
そのまま帰らぬ人となってしまった菜穂子のぶんまで、
二郎はどう償い(罪ではないけど)、生きていくのか。
その人生が語られるのを楽しみにした矢先のエンドロール。

え、ここからじゃないの?
物語の最大の波はこれから来るんじゃないの?
そう思って呆然としてしまったのだ。

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「この映画は、実在の人物、堀越二郎の半生を描く——。」

このコピーを読んで、誤解していたのだけど、
この映画の主人公は、「堀越二郎」ではなく、
むしろ「掘辰雄」という小説家の人生が色濃く反映されている。
つまり、歴史上では大きな接点のないふたりの人生を、
フィクションとして融合させた脚本だったのだ。

史実に基づいた堀越二郎の伝記映画だと
考えている人も多いのではないか思います。

むしろ、堀辰雄の自伝に近い小説が原作。
“風立ちぬ、いざ生きめやも。”
この有名なセリフは、彼の小説の中の言葉でもある。
そして、堀辰雄のもう一つの代表作が「菜穂子」。

僕にとっては、飛行機よりもむしろ色濃く
印象に残ることになったラブストーリーは、
この小説をもとにしているのであった。